最近は、知人が会社を売却する際、割とおめでとうと言うことが多いように思う。
Facebookがインスタグラムを買ったようなBigなディールはさすがにないけど、最近、周りでもYahoo!やらGREEやらmixiやらに会社を買ってもらって、おめでとう、みたいな。もちろんスタートアップのExitとして一つ結果を出し、投資家にも報いたことになるので、おめでとうなんだけど。
でも、会社をやっている側にはいろんな葛藤があるんじゃないかな、と思ってます。
一昔前は会社が買収されると、なんてこった、みたいに言う風潮があったと思う。やむを得ず株式を売った、的な。メディアが伝える「買収」のイメージがよくなかったのもあるけど、前職のオプトでも電通にかなりの量の株式を渡した時、日経新聞をはじめ、多くのメディアが「電通の軍門に下った」みたいな表現で報道した。(当時の経営陣にはそんなつもりはなくて、ナショナルクライアントの広告費を共に獲得しにいく、という目的があったはず。もちろん、単体でそれが出来ないから組んだんだろうけど。)さらにちょっと前は、ホリエモン周りで「買収」というワードが下品に踊っていた気がする。
そんな「買収」の悪いイメージが少なくともこの業界ではなくなりつつあり、むしろ本来の前向きな意味に取られるようになったのはすごくよいことだと思う。
しかし、ちょっと前向きすぎやしないか?
もちろん、会社や事業、人という最大のプロダクトを高値(大抵は)で買ってもらえる=取引が成立する、のだから、おめでとうではある。そして、株を保有している創業メンバーや投資家、もしくはストックオプションを持っている社員には割と大きなお金が入る。その事業やメンバーは売却先で活躍して、シナジーを産み、世の中により大きな価値をもたらす。いろんな事を考えてみたら、当然いいことだ。(もちろん、人材を得ることが目的の買収も多そうだからなんともいえないけど)
でも、創業者やその事業に本気で取り組んでいたメンバーには、ちょっとした寂しさがあるんじゃないかな、と思います。
実際は、
・ユーザーは得たけど、マネタイズの手段が到底見えそうにない
・次のラウンドで資金調達することが出来なくて、事業を続けられそうにない
・もう、情熱が無くなってしまった
なんて、無念な出来事が沢山あって、売却という手を選ぶ場合も多いと思う。いつかは自分の手を離れると考えていた場合でさえ、それが早すぎたり、スケールしきれなかったり、とか。誰だって愛着のある事業はいつまでもやっていたいし、ユーザーにも、メンバーにも、もちろん会社という箱にも自分の手の届くところにいて欲しい、と思うんじゃないだろうか。
僕は会社をまるごと売却した経験はないけれど、一つの事業が、昨年、ハロを去っていきました。もともと韓国の企業と始めたパートナー事業ではあるけど、日本でゼロからサービスを立ち上げて、アプリのユーザーも100万人を超え、売上もしっかり立っていた中での運営移管。
正直自分たちで事業を続けていたかったから、最初はそのつもりはなかった。しかし、後から考えると、成長のキードライバーとして、資本力や全体のパワーが必要なフェーズに来ていたのかもしれない。いわゆる資本を投入して、さらに勝負をかけないと競合にやられてしまうフェーズである。理論的にはよい気がするんだけど、これまでサービスを利用してくれたユーザーや、この事業のために入社してくれたメンバーのことを考えると、簡単には割り切れない問題。
この事業の移管が正式に決まった時、渋谷から歩いて帰りながら、涙がでてきた。
一区切りついたからなのか、自分の不甲斐なさへなのか、パートナー、そしてメンバーへの思いなのか、サービスを使ってくれたユーザーの顔なのか、この事業に関する色んな思いが混じっていた。多分、仕事で泣いたのはこの時限りだと思う。
事業一つでさえそうなんだから、会社まるごとなんていったら、かなりの喪失感を抱えることになるんだろうなと思う。会社と事業が無くなってしまったら、次の日からはお金(と実績)だけが残って、次に何かを始めるまでなんでもない人になってしまうのだから。
あれから半年経ちまして、新たな事業を同じメンバーでできているのは、幸せだな、とも思うのです。
色んな考え方があるけれど、その裏にはいろんな事情があることを察して、次のステップに進む人には声をかけたいな、と思うのです。