先日、僕が大好きなブランドでデザイナーをしていた方とご飯をご一緒させていただきました。普段のインターネットにおけるモノづくりで、僕が忘れそうになっている点について、気づきを多く頂きました。
何点か紹介したいと思います。
消費されないこと
毎シーズン、ブランドが新しいコレクションを出すのは、ファッション業界の仕組みに回されているということ。だから、必ずしも毎年コレクションはやらない。理想は、いいものを、手入れしながら、ずっと使っていくこと。例えば、レザーのカバンを、おばあさんの代から母親、娘の代まで大切に、メンテナンスしながら使う。すると、作品としての味が増していく。使ったら価値が目減りするというファストファッションとは逆の考え方。
ファッションは、ビジネスとして成立してこそ
一方、ファッションはアートではないとも言う。生み出したプロダクトを、生活者が着ることによって表現が完成する。だから、売れなくては意味が無いし、続けるためにビジネスを成立させることが必要。ただ、価値のあるものは高い。それだけ素材や、縫製にもこだわっているからだ。もちろん事業規模次第であるが、尖ったものから裾野の広い顧客に手の届く商品までラインナップを揃えざるを得ない場合もある。
プリミティブな欲求を刺激する
衣食住、というけれど、食は圧倒的にファーストになってしまった。衣も、大量消費社会、そしてインターネットの普及によって、すごくイージーな体験になりつつある。本当にほしいものを足で探して、手に入らなくて、我慢して買うといった体験をすることが、価値になっていた時代。真剣に自分が着るものを選ぶことが、自分の価値を上げていく。
クリエイションはケンカ
創りたい世界観がれば、クリエイターとして主張をすべき。羊さんにはなれないはず。ただ、ケンカしてモノをつくるような体験は、日本の教育に存在しない。だから慣れないことも多いが、真剣にものを生み出すとはそういうことだ。
模倣されることは光栄である
同じようなコンセプト、デザインの商品やサービスが次々出るということは、価値が認められたということ。僕らは最先端を走り、これまでになかった価値を発信する。最初は生活者がついてくるかはわからない中で、チャレンジする。そこで、フォロワーによる模倣が起こり、サービスがコモディティ化していくが、それは自然の流れであり、受け入れるべきことである。大抵の場合、大きな利益を得るのは後発の大量生産をする企業だが、僕達クリエイターの使命は新たな価値を生み出し、それを生活者に提案していくことである。
仲間と共有すべきは価値観
一緒にモノをつくる人、工場を選ぶときの基準は3つ。
- 服をつくる技術を持っていること
- お互いがビジネスとして成り立つこと
- 価値観が共有できること
とくに、最後が一番大事。単発の仕事に留まらない関係性をもったとき、創る喜びを共有できる。また、自分が何者か、先入観を持たれずに接することで、本当によい出会いにたどり着くことができるという。
おわりに
ファッションを通じて文化を創り、それが生活者に受け入れられるということ。結果的に、世界を少しずつ変えていくということ。日本で、イッセイミヤケや、ヨウジヤマモト、川久保玲など先人たちが成し遂げてきたことが、どれだけ価値のあることか、それは今僕がこれらのブランドに共感していることが示していると思います。
僕がやっているメディアづくりにも応用できることが沢山ありました。特に、仲間探しから始まり、ケンカしながらも作品を創ること。そして、しっかりとサスティナブルなビジネスにすること。スマートフォンのメディア事業の収益は主に広告だが、ただ、ヒマなユーザーを集めて、それをダイレクトマーケティングのクライアントに提供するのみでは、他のメディアとなんら生み出す価値は変わらない。だから、僕らはユーザーとともにサービスのブランドを高め、僕達しかできない、広告価値の高いプロダクトにしていく必要がある。結果的に、僕らは新しい挑戦ができるし、ユーザーによいサービスを提供し続けることができる。それと同時に、新たな作品を創り、ユーザーに提示していくことを、今年も続けていきます。
自分の仕事は価値を生み出しているか、そこにこだわりながら。
焼き鳥とビールを片手に。