昨日は、中高の卒業10周年を祝う同窓会でした。
150人が集まり、大いに盛り上がりました。
クライマックスの騎馬戦。
氷上校長(ロンゲ、紐)から特別講義があったので、抜粋して紹介します。
※随時追記予定。
こんなにみんなが聞いてる授業、初めてじゃなかろうか。
感動した。
■自由とは
母校は自由でありつつ、いちおう学校としての体はなしている。
進学校だから自由が実現できるわけではなく、どんな学校でも、自由であるべきだ。
この校風があれば、日本はよくなる。
青年即未来 by江原素六(創立者)
そのまま読むと、青年は未来であるということ。
しかしよく解釈をすると、青年の姿は社会を色濃く反映しているということを言っている。
■欲望自然主義の時代
ゲームにのめり込んだり、自分の手に入らないものは、隣のモノやカネに手を出し、それを悪いと思わない風潮がややある。
欲望自然主義に支えられた消費社会は、真っ当ではない。
つまりそれは、モノを消費して満足し、人生を送るということ。
虚しさがないか?
今回の震災は、それを考えなおすよいきっかけになるはずだ。
■幻想のススメ
モノを売ったり買ったりするだけでなく、幻想を持っていることが大事だ。
しかし、いまテレビでやっている「一つになろう日本」とかは非常に危ない。
これは大きな危機を幻想によって乗り越えようとする危なさ。関東大震災後もそう。
大きな幻想ではなく、小さな幻想を持つこと。
例えば、同期と集まることも幻想である。
毎日会っていると嫌になるが、ときどき集まることで元気を貰える。
同窓会で名刺交換をするなんて嫌だ。
幻想共同体。
小さくても”自分だけの””譲らない”幻想を抱き、仲間
一人の幻想は妄想に発展する可能性があるが、お互い批判・刺激しあう事でその幻想は独りよがりにはな
これから親になるのであれば、子供の幻想を見守ること。
また、自分の幻想が子供しかないようになってはいけない。
近年は、子供は孤独を強く感じ、つながり、一体感を強く求めている。人をリスペクトすることが減ってきているのではないか。
そのため、構造的に団結する傾向がある。
ちなみに氷上校長の幻想は教育。仕事と結びついている。
■シェアする時代
FacebookやTwitterとかで、自分の姿が出てきやすい時代である。
すべて明るみに出す事自体はいいことだが、それによる見返りはあるから、面倒な作業ではある。
例えば天皇のように、謎があるから、という点もある。
麻布としては、この10年間発信はしていくべきと考えている。これまでは、囲っていくべきと考えていた面もある。
一番の発信は卒業生だ。(嬉しい)
そんな感じです。
社会に閉塞感があり、それが一番反映されるのが子供だ。
上に突き抜ける道が見えにくいから、横のつながりを強く求める。
また、社会全体から考えると、ソーシャルメディアによる「シェア」の文化もそれを表しているのではないか。
気軽な共感は横に広がるだけであり、縦に突き抜けることが必要だ、と感じた。
同窓会といえば、あの時の子が可愛くなっていたり、残念だったりを楽しみたいものですが、
男子校なんです。ごめんなさい。
校風は自由闊達。
特徴としては、中高一貫教育であること、男子校であること、明文化された校則がないこと、自主・自立の校風のもと、学園生活の大部分が生徒達の裁量に委ねられていることなどが挙げられる。そのため服装だけでなく頭髪や装飾品に関しても基本的に全て生徒自身に判断が委ねられている。
ただ校則としてではなくルールとして、「校内で鉄下駄を履いてはならない」「校内で麻雀をしてはならない」「授業中に出前を取ってはならない」が挙げられる。 「校内鉄下駄を履いてはならない」という校則はとある漫画が流行った時に鉄下駄を履いてくる生徒が増え校舎がボロボロになった為に作られた。「校内で麻雀をしてはならない」はとある生徒が麻雀賭博にて先輩に借金ができて返済できず、自主退学となったことから作られた。「授業中に出前を取ってはならない」は授業中に出前を取る生徒がいた為作られた。学校からの苦情で、ラーメン屋は放課後にしか出前をしないことにした。 しかし何れも明文化されていないため、すべての生徒に浸透しているとは言い難い。
ちなみに、今年人に勧められて読んだ村上龍の小説『希望の国のエクソダス』に出てくる学生は、
麻布の学生へのインタビューを基にして書かれたらしい。(今知った)
自由とは、希望とは、まさに僕の求める姿が書かれている。