僕の遠いところへ行ってしまったGREE

 

久しぶりにネット業界関連のことを。

Gigazineの『グリーは一体どこから道を間違え始めたのかという知られざる歴史まとめ

というまとめが話題になってます。

かと言って、GREEの8年間を否定すればよいものではないと思います。これほどの方針転換を推し進めるGREEの人たちは素晴らしいと思うし、日本のインターネットからGREEやDeNA、サイバーエージェントを取ると、日本のネットサービス自体の社会的インパクトは極めて小さいと言うしかありません。

一方、GREEが道を間違えたとは思いませんが、最初はモロにターゲットユーザーだった僕らが、ユーザーとして切り捨てられたんだな、というのは感じます。

僕はGREEが出来てすぐ、実名のSNSとして使っていました。IDは3000番台。

久しぶりにプロフィールページを開いたら、自己紹介が削除されていました。実名制のビジネスよりのSNSから、匿名性のゲームSNSにガラっと変わった、ということです。

それは、テレビの深夜番組がゴールデンタイムに昇格するときに、エッジが抜かれて多くの人にとってわかりやすい番組になる、というのと同様かもしれません。その際に、マイルドチューンがされるわけですが、テレビのノリ的にはこんなことを思ったりします。

 

 

規制は、誰を何から守るためのものなんだ?

叩いて、潰して、誰が得するんだ?

パクリはリスペクトだ。

GREEが出来て間もないころにヘビーに使ってたユーザーとして、ネット広告業界で仕事をさせていただいた人間として、お客さんの1社としてお付き合いしているハロ/アドラッテとして、振り返ってみました。

 

1.2004年 〜GREEとの出会い〜

2004年の2月、僕は大学3年生でした。インターネットが好きな人が集まるゼミにいたり、SFCの友達が多かったりで、出来てすぐに招待がきました。新しい人に会うと、「GREEやってる?」なんて形でつながりを増やしていきました。それは、これまでの電話番号交換とは違う、「つながりが見える!」「友達の紹介が書ける」なんていうステキなソーシャルネットワークでした。

当時は、新しく会った人、繋がっている友達の紹介を一言一言書くのが楽しみでした。自分がこんなふうに見られているのか、こんなキャラなんだと、発見も多かったです。

こんな使い方をしてました。 http://gree.jp/ossam/friend?&offset=144&limit=24

 

2.2005年 〜mixiにあっさり抜かれた不遇時代〜

最初はGREEでしたが、「あしあと機能」の面白さなどで、友人達は割とmixiに移行していきました。僕もそうでした。GREEはアカウントはありつつも、置き去りにしていました。

それから日テレに就職すると、意外とスタッフはmixiを使っていました。ズームインでライブドアのニュースを報道する度に、なんでテレビの人はインターネットが嫌いなんだろう、と思わずにいられませんでした。(すべての人が、というわけではないです)

※当時の記録はコレです。続:テレビとホリエモンと私

 

3.2006年 〜KDDIと提携、成長の芽を感じた〜

その後、インターネットの広告代理店、オプトに移籍し、モバイルの仕入れからプランニング、セールス、オペレーションまで全部やる部署でプレイヤーとして働いていました。

また、この年の2月にモバゲータウンが立ち上がって、半年経たずに100万人の会員を集めており、媒体としての成長を間近で見ました。売上も一気に伸び、すげーやつがモバイルをやるとこうなるんだ、と思い知りました。

一方、GREEはクソ媒体だった。PVも出ないし、広告を出しても効果が悪かった。

でも、11月にKDDIとの提携をしてから、一気にAUのユーザーが増えていき、これからモバゲー状態になることが容易に推測できました。この頃からいるメンバーは本当に優秀で、GREEへの愛があるなと感じました。

 

4.2007年 〜GREE300万人突破、モバゲータウンを追い上げる〜

この年は、モバゲータウンが500万人を突破する中、GREEも猛追して300万人までユーザーを伸ばしていました。パクリといえばそうなんだけど、全ユーザーアバターへの切り替えや無料ゲーム、なによりAUの導線を利用した会員獲得は圧倒的でした。

僕自身も、仕入れを統括するポジションになり、モバゲータウン、mixi、AmebaにつづいてGREEが主力媒体となりつつありました。媒体資料も、DeNAと並んで出来が良かったと思います。(それまでのモバイルメディアの資料が軒並みヤバかった、というのもありますがw)

また、ローソンなど大手との、SNSを活用したタイアップ広告は非常に高い効果を出していたようです。

 

5.2008年 〜会員800万人、テレビCM開始〜

岸部四郎を使った「金はない、時間はある」という徹底的に割り切ったCMが印象的でした。

ここまでで、かなり広告収入が伸びていたことに加え、同時に釣りスタやクリノッペなど、最初無料、後から課金的な今のベースとなるソーシャルゲームを続々投入し、課金収入が圧倒的に伸びていきました。広告はそれなりにやりつつ、会社のメインは課金へと移っていったのもこの年だと思います。

そして、マザーズ上場。

この時点では、「なんでGREEって儲かってるの?」って人も多かったです。CMでは、「無料!」って大きく言っていたので。

 

5.2009年〜2011年 〜圧倒的なゲームプラットフォームへ〜

ここらへんからはご存知の通りだと思いますが、割り切ったゲーム会社として、mobageとしのぎを削って急拡大をしています。

友人がどんどんGREEに転職していくのもビビりましたw

 

6.2012年〜

スマホシフト、そしてグローバルなゲームプラットフォームへ。単純に、これをやるんだ、というのが明確なのでよいと思います。

ある意味日本のインターネットの希望だし。

なかったら、日本のインターネットはほんとにさぶいことになってたと思う。

 

「自分が使ってたサービスが、違う人のためのものになること」

それは、最初に使っていたユーザーにとってはサービス停止に等しいです。悲しいけれど。

でも、そういうことで進化して行くサービスもあるんだなと。

会社のステージが上がるたびに、多くの人、みんながつかうサービスを作る方向へ。数だけを求めると、単に多くの人が使うサービス、という発想になる。すると、使って欲しいユーザーが変わる。なので、以前使っていた人を切り捨てて変化していくことになる。

でも、数だけを求めたら、何のために創るんだろうね。

Facebookはザッカーバーグも変わらず使っているよ。

 

激しいピボットと市場を見つけた急成長は見事だけど、だんだんと、やりたかったことから離れて行ってしまうのかもしれない。

8年で、個人運営のリアルSNSからモバイルSNS、そしてソーシャルゲーム、グローバルで1億人抱えるゲームプラットフォームへと、これだけ変わって、人もついてきたんだからこれからも変われるはず。

きっといい方向へ。

僕も今、自分に問うています。

 

※3/28 某所からご連絡いただいたので追記

実名禁止や、個人を特定できないようにしているのは、出会い系サイト規制法による、業界に対しての規制とのこと。アメーバもそうだったように。

では、なぜfacebookはOKか?

それは、USのサービスだからとのこと。日本の法律による規制は問題を一時的に沈めるのかもしれませんが、日本のインターネットの大きな芽を摘んでしまった可能性もあるようです。

警視庁の出会い系サイト規制法の詳細はコチラ