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会社が買収されることはおめでとう、だけじゃないと思う件

 

最近は、知人が会社を売却する際、割とおめでとうと言うことが多いように思う。

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Facebookがインスタグラムを買ったようなBigなディールはさすがにないけど、最近、周りでもYahoo!やらGREEやらmixiやらに会社を買ってもらって、おめでとう、みたいな。もちろんスタートアップのExitとして一つ結果を出し、投資家にも報いたことになるので、おめでとうなんだけど。

でも、会社をやっている側にはいろんな葛藤があるんじゃないかな、と思ってます。

一昔前は会社が買収されると、なんてこった、みたいに言う風潮があったと思う。やむを得ず株式を売った、的な。メディアが伝える「買収」のイメージがよくなかったのもあるけど、前職のオプトでも電通にかなりの量の株式を渡した時、日経新聞をはじめ、多くのメディアが「電通の軍門に下った」みたいな表現で報道した。(当時の経営陣にはそんなつもりはなくて、ナショナルクライアントの広告費を共に獲得しにいく、という目的があったはず。もちろん、単体でそれが出来ないから組んだんだろうけど。)さらにちょっと前は、ホリエモン周りで「買収」というワードが下品に踊っていた気がする。

そんな「買収」の悪いイメージが少なくともこの業界ではなくなりつつあり、むしろ本来の前向きな意味に取られるようになったのはすごくよいことだと思う。

しかし、ちょっと前向きすぎやしないか?

もちろん、会社や事業、人という最大のプロダクトを高値(大抵は)で買ってもらえる=取引が成立する、のだから、おめでとうではある。そして、株を保有している創業メンバーや投資家、もしくはストックオプションを持っている社員には割と大きなお金が入る。その事業やメンバーは売却先で活躍して、シナジーを産み、世の中により大きな価値をもたらす。いろんな事を考えてみたら、当然いいことだ。(もちろん、人材を得ることが目的の買収も多そうだからなんともいえないけど)

でも、創業者やその事業に本気で取り組んでいたメンバーには、ちょっとした寂しさがあるんじゃないかな、と思います。

実際は、

・ユーザーは得たけど、マネタイズの手段が到底見えそうにない

・次のラウンドで資金調達することが出来なくて、事業を続けられそうにない

・もう、情熱が無くなってしまった

なんて、無念な出来事が沢山あって、売却という手を選ぶ場合も多いと思う。いつかは自分の手を離れると考えていた場合でさえ、それが早すぎたり、スケールしきれなかったり、とか。誰だって愛着のある事業はいつまでもやっていたいし、ユーザーにも、メンバーにも、もちろん会社という箱にも自分の手の届くところにいて欲しい、と思うんじゃないだろうか。

僕は会社をまるごと売却した経験はないけれど、一つの事業が、昨年、ハロを去っていきました。もともと韓国の企業と始めたパートナー事業ではあるけど、日本でゼロからサービスを立ち上げて、アプリのユーザーも100万人を超え、売上もしっかり立っていた中での運営移管。

正直自分たちで事業を続けていたかったから、最初はそのつもりはなかった。しかし、後から考えると、成長のキードライバーとして、資本力や全体のパワーが必要なフェーズに来ていたのかもしれない。いわゆる資本を投入して、さらに勝負をかけないと競合にやられてしまうフェーズである。理論的にはよい気がするんだけど、これまでサービスを利用してくれたユーザーや、この事業のために入社してくれたメンバーのことを考えると、簡単には割り切れない問題。

この事業の移管が正式に決まった時、渋谷から歩いて帰りながら、涙がでてきた。

一区切りついたからなのか、自分の不甲斐なさへなのか、パートナー、そしてメンバーへの思いなのか、サービスを使ってくれたユーザーの顔なのか、この事業に関する色んな思いが混じっていた。多分、仕事で泣いたのはこの時限りだと思う。

事業一つでさえそうなんだから、会社まるごとなんていったら、かなりの喪失感を抱えることになるんだろうなと思う。会社と事業が無くなってしまったら、次の日からはお金(と実績)だけが残って、次に何かを始めるまでなんでもない人になってしまうのだから。

あれから半年経ちまして、新たな事業を同じメンバーでできているのは、幸せだな、とも思うのです。

色んな考え方があるけれど、その裏にはいろんな事情があることを察して、次のステップに進む人には声をかけたいな、と思うのです。

 

ベトナム訪問で感じた日本とのギャップ 〜HALO ASIA設立にあたり〜

 

3/4-7までハロの役員陣でベトナムへ行って参りました。羽田から飛行機に乗り、香港乗り継ぎで8時間ほど、アジアとは言え、なかなかの長旅です。(矢野は前乗りしており、すでにベトナム人と化していました)

今回の目的は二つ。

・HALO ASIA設立に当たって、現地立ち上げメンバーの採用面接

・ベトナムがマーケットとしてどのタイミングでフィーバーするか、実地調査

オフショアをやるには実績もあってやりやすそうで、マーケットとしてはもうちょっと時間かかるな、という感触でした。

1.現地での採用活動

現地では採用面接をする傍ら、ブレイブソフトさん、バイタリフィさん、エボラブルアジアさん、グレイトフルデイズさん、medibaさんなど、すでに良い感じで成長している日経企業の方々に実際の話を聞いたり、オフィスを見せていただいたりしました。国が違えばモチベーションやマネジメント方法も違う。みなさん工夫されているようです。もちろん、撤退している企業もあるのでその要因なども聞きつつ。

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※写真は矢吹さん、まさかの孫さんたちと。なぜか僕だけ光が当たっています。

エンジニアの人件費相場は日本と比較して圧倒的に安い。PHPなどに関しては、スキルの高い方もいそう。iOS, androidなどは、いかんせん実機が普及していないので、プログラムは書けてもUXまで考える体験を持っている方は非常にレア。企画やデザインも、おそらく厳しそう。

現地の方もおっしゃってましたが、若いころからのコンテンツ体験が少ないことがアジアの急激に伸びている国の特徴で、僕らが日常接しているマンガやアニメ、ゲームでさえも触ったことがない人もいる状況。その中で、ゼロから企画して、ゲームやサービスを創りだすのはかなりハードルが高いようです。

逆に僕ら日本人はガラケー世代からモバイル端末に触れているので、その部分で圧倒的なユーザーとしてのアドバンテージがあるとも言えそうです。ゲームなんて、ほとんどの人がプレイしたことありますし。

2.マーケットとしてのベトナム

こちら、人口8,000万人以上、平均年令27歳、ここから20年くらい、圧倒的に希望がもてる人口構成です。日本の平均年齢が45歳、会社に入っても、40代以上が半分以上を占めるという新入社員の気持ちを考えると、圧倒的にワクワクします。第一印象は、バイクの音と、クラクションと若者の人口爆発が活気を生み出しているんじゃないか、ということ。道路一面バイクです。

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物価は安く、フォーはヘルシー。ある意味住みやすい国だと感じました。(4日間いる分には)

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一方、アッパークラスはこれでもか、というくらいラグジュアリー。写真はビルの屋上のBAR。オープンエアで、DJが音楽鳴らしてます。みんなiPhone持ってるし、Facebook使ってるし、どこの国でも変わらない光景でした。

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そんな中、LINEさんはしっかりスマホでプロモーション打って、シェアを取りに来てます。なんて書いてあるかは全く読めないけど、さすがっす。

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3.日本を目指すベトナム人

無料で日本語や日本文化と技術を教える専門学校を見学させてもらいました。例えば農村部の、年収10万円ちょっとの子たちが日本にきて製造業で働けば、貧困層から抜け出せる。日本で300万円稼いで、仕送りして、家族も幸せに。生徒さんたちの目は輝いていて、未来への希望を感じました。

逆に、日本では仕事はある。コンビニバイトでも時給1000円もらえる。しかし、これ以上よくなることもないし、自分がスキルを上げる必要もないと感じる人も多い。だから、未来への期待が少ないと感じてしまう人がおおい。

それぞれの国で、分断された層の課題を感じました。

これから会社を設立するにあたり、僕らが彼らと働くことで得られるものは、自分たちが当たり前だと思ってたことが、そうではない、という事を再発見することかもしれないな、と考えています。

ベトナムでは、「日本ではこれで上手く行ったから」「こうしたら幸せだ」と、日本人の都合のよいようにやってないだろうか?

何十年か前の成功体験をそのまま移植することが、この国のためになっているだろうか?

製造業では成り立っていたルールが、僕らのソフトウェア産業では既に変わっているのではないか?

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我々ならではのやり方はなんだろうか?

ベトナムはあったかいし、気候もよく、人もいい。僕らが現地で会社をやるのであれば、日本のスタイルの後追いではなく、ベトナム人が、独自の進化を遂げられるような場所になったらいいな。

現地には矢野が4月から住む予定なので、ほぼ全部任せます〜。日本チームの企画、デザインと、ベトナムチームのプログラムがシナジーを産み、オモシロイチームになるか、2013年のトライです。

 

※写真は帰国前のホテルリバーサイドの窓から、サイゴン川を眺めて。

 

僕が被災地で出会った3人の起業家から学んだこと

 

先週末、東日本大震災の被災地である陸前高田に訪問してきました。

目的は、被災地の子供や働いている方、ご高齢の方問わず、英語を教えることです。マーサージャパンの代表、古森剛さん主催の「Komo’s 英語音読会」に定期的に参加させていただき、講師として活動しています。初めて足を踏み入れたのが今年の3月、次は6月、そして今回と、3回目になります。

「ボランティア」というと何かおしつけがましい気がしますが、僕は、助けるより、助けられること、学べることのほうが多いと感じているので、一つの「活動」として取り組んでいます。

震災初期、僕が持っていた「ボランティア」のイメージは、現地へ物資を運んだり、瓦礫を除去したりするものでした。もちろんすべて大切な活動ですが、時間が経過するに連れて必要な活動が変化してきます。

最初は物資など、必要最低限の生活環境を確保すること。それ以降は、生活する方々の生きがいを支援することになってきます。例えば、仮設住宅が確保され、ご飯も食べられるようになった。しかし、家族や友人が流され、孤独に苦しむ人達。中には、自殺する方もいらっしゃると聞きます。その時に必要なのが、新たなコミュニティを創ることです。

そこで、英語を教えることが役に立つ、というのが古森さんの発想です。

 

参加させて頂くにあたり、僕が毎回意識していることは下記3点です。

1.被災地の情景を見て、空気を感じる

2.被災地の方々とコミニュケーションを取る(英語を教えながら)

3.ゼロからコミュニティがスタートする過程を見守り、支援する

 

まずは、2012年の被災地の状況と経過をシェアします。

 

2012年3月

初めて訪問した気仙沼。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住宅地が跡形もなく流され、残ったのは土台のみ。

 

同じく、陸前高田。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海から数キロ離れた消防署がこの状況です。

 

2012年6月

避難所となっており、多くの方が亡くなった体育館。

1年と3ヶ月経ってもこの状況でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

畑で野菜を育てることも始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しずつ、復興の色も見えてきたように感じたシーンでした。

 

2012年11月

農園もパワーアップ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
高田病院の方の支援もあり、楽しく農作業をされていました。

というのが毎回僕が観ている風景です。

 

こちらが英語教室『Komo’s 英語音読会』の風景です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在は訪問リハビリテーション事業のオフィスになっている場所をお借りして、月1回開催しています。

基本はマンツーマンでそれぞれの目標を支援していきます。例えば日常会話であったり、新聞の音読だったり、好きな洋楽の解説と音読など。小学生、中高生には学校のテキストを使った指導もしています。講師が皆本格派なため、非常に実践的な、使える英語の授業が行われてます。

『Komo’s 英語音読会』のメンバーは30名ほどなので、月1回交代で訪問しています。僕の場合は、3-4ヶ月に1回のペースで、伺って、その成長に驚いたりしています。

毎月誰かが来てくれる、ということがみんなの楽しみになってきてくれている、ことを行くたびに感じるようになりました。3ヶ月も経てば子供も一気に成長したり、小6が中1になったりするので、僕らも嬉しいです。

 

6月に訪問したときは畑ができ、そこでみなさんが楽しそうに農作業をしているのをみたり、11月は仮設住宅で文化祭が行われたりと、だんだんとコミュニティが生まれてくるのを感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼロからコミュニティを生み出すのがどんなに大変か、そして、その場所を創ろうとしている人の存在の大きさに尊敬の念を抱いています。

 

この活動を通して僕が出会った3人の起業家が印象的だったので、紹介したいと思います。

 

1.ママの起業

この「Komo’s 英語音読会」は、被災者であるOさん(僕らはママと呼んでいます)の協力によって成り立っています。彼女が言うのは、「皆が集まれる場所をつくりたい」ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その中で、被災地復興支援のために社会貢献的観点で起業した方に土地を無償で提供し、現地で活動をサポートするという形で、3つの活動をスタートしています。

・薬局を開業

・訪問リハビリテーション事業を開始

・月1回、英語音読会のハブに

想いをもった起業家が、多くの支援者を集めて、事業を実現させる。その姿に感動しました。僕も、その一端を担えればと想い、定期的に活動を続けています。行くたびに、僕らに美味しいごはんを振る舞ってくれるのも楽しみの一つです。

 

2.佐藤たね屋さん

彼は、もともと種苗店を営んでいましたが、津波で店が流された後、ご自身でプレハブを立て、たねの販売事業を再開しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月に初めてお会いしたときは、まだ話しぶりも暗かったのですが、この半年で圧倒的にオープンな方に成っていました。この英語音読会を通じて、被災地で起こったことを “The seed of hope in the Heart ” という冊子にまとめ、出版しています。

産経の記事:陸前高田の種苗店主「心に希望の種を」 英語で震災体験、冊子好評

事業も軌道にのりつつあり、今回購入した新車の軽トラを見せていただいたのに、復興の光を感じました。こちらの電子での流通、海外向け出版なども支援していきたいと思います。

 

3.マルトヨ食品の清水さん

気仙沼のサンマを初めとした、加工食品を販売する会社です。工場の再稼働を成し遂げ、先日東村山で物産展を行い見事完売したそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

facebookで積極的に情報発信をするなど、チャレンジ精神を感じます。

マルトヨ食品のFacebookページ

東京でビジネスをしている僕らからすると、全くなにも無いところから事業を立ち上げるという苦労は計り知れないものだと感じます。

 

 

今僕らは、必要のないものを作っちゃってないだろうか?

無駄にテレビを薄くしようとしてないだろうか?

ただの価格破壊をしていないだろうか?

そんなことを行くたびに考えさせられます。

 

必然性があるから事業をやる、創りたい世界があるから事業をやる、といういう存在でありたいと思わせてくれる、貴重な機会です。

次は来年の春に伺う予定です^^

 

古森さんの「はなそう基金」のブログはコチラ「Komo’s英語音読会@陸前高田(2012年11月)

 

2012年版 #AdtechTOKYO 出展レビュー「ボケてと神アプリ解説」にて

 

昨年に引き続き、今年もHALOとしてAdtech TOKYOに出展してきました。

一部では大人の文化祭、広告、アドテク業界の方の同窓会的な雰囲気もありますが、今年も楽しませていただきました。

 

今年の出展は、HALOで取り扱うスマホアプリ2点

ボケて

こちらは、知っている方も多いと思いますが、写真で一言ボケるサービス。友人の鎌団子の会社、オモロキが2008年から運営しているサービスで、2012年に一気にブレイクました。今年の10月にHALOと共同でiPhoneアプリをリリースし、1カ月で30万インストールを達成、PCをと合わせて5,000万PVを超えています。

その純広、タイアップメニューの告知になります。

 

神アプリ解説

こちらは、170万インストールを誇るアプリレビューサイト。アップスジェイピーさんが運営していて、広告効果も非常に高いメディアです。ハロで販売をお手伝いしています。

 

 

 

ブースはこんなかんじです。

 

小さいブースではありますが、シンプルにポスター、ポリス、顔出し看板を準備しました。

各社、いろんな取り組みをされていましたが、僕らは「お客さんに楽しんでいただく」ことを目標に運営してます。おかげ様で、こんな効果を得られたと思います。
 

 

 

 

■気をつけたこと

・まず、興味をひく演出

今年は、「ハロポリスが、無課金ユーザーを逮捕していく」というストーリーを立てました。こちらはボケての殿堂入りボケの一つなのですが、サービスを体験していだくことで、より理解していただくのが目的です。写真はあえなく逮捕されてしまったTechwaveの増田さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

・コンパニオン内製

昨年は所謂コンパニオン的な子に手伝っていただきましたが、今年は内製化しました。

広報担当のまなみと、エンジニアの曽田ちゃん、デザイナーのイェラちゃん。

ただチラシを配るだけでなく、サービスの説明もできるのでオススメです。

 

・Tシャツでうろつく

 

 

 

 

 

 

 

ひと目でスタッフと分かるのが大事です!右側は宮川。

 

・iPadで大きく説明

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり実機での説明が一番刺さります。

 

アプリソムリエの石井寛子さんも来てくれました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■効果

・新規のお客さんへ神アプリ解説、ボケての広告の紹介をし、問い合わせをいただくことができた。

・既存のお客さんと会うことができた。一度にみんな集まるので、非常に効率がよいです。

・新メンバー含め、商品のプレゼンの練習ができた

・Twitter、facebookに写真をアップしたり、ネタができた。

・ボケてと神アプリの窓口として、ハロを認知させることができた。

 

■数値はこんな感じ。

名刺交換 :約300枚

チラシ配布:約1000枚

シール配布:約1000枚

 

■予算

さて、気になるご予算は・・・!?

ブース代 20万円

Tシャツ:5万円

ステッカー:5万円

ポスター:1.5万円

チラシ :2万円

無課金ユーザーパネル:1.5万円

合計35万円!

 

費用対効果は非常によいと思います。なにより、社内メンバーのお祭り感醸成にも^^

 

今年は直前に出展サービスが変わったりといろいろ有りましたが、メンバーのおかげでなんとか成功させることが出来ました。来年もやるぞ〜。

 

広告周りでのご相談は、sales@halo-web.comまでお願いいたします^^

 

 

僕がアドラッテに恋をして 〜サービス開始から運営移管までの学び〜

 

本日こちらのリリースを出した通り、今月をもってスマホアプリ「アドラッテ」の運営を、ハロからアップディスコの100%子会社、アップディスコジャパンに移管します。

1年という短い期間でしたが、100万インストールというユーザー達、100社以上のスポンサーに支えられ、非常に楽しく運営することができました。

せっかくなので、1年を振り返ってみようと思います。

 

※アドラッテとは

広告を見て、クイズに答えてポイントを貯めるiPhone、androidアプリケーション。ポイントは、StarbucksやAmazon、iTunesのギフト券と交換することができます。

詳細はコチラ: http://adlatte.jp/

 

 

 

始まり

僕がアドラッテに最初に触れたのは2011年の9月。ブレイブソフトの菅澤さんiPhoneアプリで総合1位を4回取ってるまさかの孫さんと韓国に行く予定があり、せっかく韓国メンバーを採用したので、現地のスタートアップ達に会ってこよう、あわよくば仕事をしよう、と思ったのがキッカケでした。3泊4日で10社ほどとお会いしたのですが、思えば、初日に出会ったアップディスコと3日連続でミーティングをしていました。

ほぼほぼの展開方法と、Adtec Tokyoでのデビューをその場で固め、すぐにローカライズのプロジェクトはスタートしました。当時は、アプリの内容も完璧には理解していない部分がありましが、なんかイケそうだという勘と、韓国採用からのストーリーに突き動かされていました。1カ月、日韓のメンバー達と死にものぐるいですべてのローカライズを完了し、日本で立ち上げたのが10月の末。Adtec Tokyoで日本にデビューしました。

※当時の記事はコチラ:HALO流 #adtechTOKYO への出展結果と気をつけたこと

11月のマイナーアップデートを経て、12月から広告の販売をスタートしてからは、ユーザー数、売上ともにまさに事業計画通りの伸びを示しました。普通、事業計画通りに行かないものなので、正直自分にビビってましたw

■アドラッテの日本展開カレンダー
2011年10月 Adtech Tokyoにてデビュー
2011年11月 iOS版正式リリース
2011年12月 App Store無料総合1位を獲得、20万インストール突破
2012年2月 android版をリリース
2012年7月 NHKクローズアップ現代出演
2012年8月 iOS & android合計100万インストール突破
その間にハロメンバー、代理店、レップ、クライアントほか皆さんの努力と協力があって、自分達の会社では体験したことのないスピードでサービスが成長していきました。全ては盤石に見えましたが、そうでない部分もありました。

そして、この2012年の10月、アドラッテの運営を移管することになりました。

背景はいろいろあったんですが、

・もともとアップディスコに日本法人設立の意向があったこと

・市場も相次ぐ新規参入から成熟期に入り、事業がスタートアップから、スケールが必要なフェーズに進んだこと

・ハロとしても、新しい事業に取り組む必要があること

が主です。

この1年は、僕の人生で一番レボリューショナルな体験でした。 韓国の優秀でハングリーな起業家との出会いも、日本でのサービス立ち上げも、100万人というユーザーの獲得も、日本の自動車メーカー、お菓子メーカーなど一流どころが出稿してくれたことも、わずか1年でサービスを譲渡してしまうことも。。。

たった5人だったハロも、今では2倍以上のメンバー数になりました。

 

この1年で得た気づき

上手く行ったことも、失敗したことも沢山ありました。せっかくなので、スタートアップの方々の参考になればと思い、書いてみます。

・続けることで生まれる役割分担

これまで、ハロの経営陣は割と機能が重複していたり上手く分担が出来てなかったと思います。しかし、事業が急成長するにつれて、自然と自分の得意じゃない部分は人に任せるという動きが出て、結果的にチームとして機能しだしました。例えば、イセが事業を立ち上げ、中林がオペレーションを整え、矢野が販売する、など。チームとしては非常によい経験ができたと思います。 最初にCEOだ、COOだとつけるのもいいけど、丸4年やっていると、サッカーみたいに相手のポジションが分かるようになったりもします。これは、鳴かず飛ばずのときも続けてきてよかったと思えることです。

 

・事業のスピードと競合の参入

スマホの広告、かつその中のリワード広告という市場は、2012年一気に成長しました。当然、似たようなアプリが多数生まれることになり、大手も参入してきます。その時に、どう動くか。まずスタートアップは先行優位で市場を取ったら、資金を調達して一気に勝負に出るか、提携するか、売却するかetc… 経営者として、重要なジャッジが必要な局面が多数ありました。 いずれにしろ、サイバーエージェント、GREE、アドウェイズたちとガチで市場シェアを争う戦いができたことは、一つの自信になりました。が、そこからどうしていきたいか、を考えるところが甘かったな、とも思います。

それにしても、「まずはよい商品を代理販売して、自分達で創る」という方法は、起業前にどこかの本で読んだバリュークリックとサイバークリックの手法に似てるな、と思い出して震えました。

 

・採用

事業が急成長すると、当然人が欲しくなります。営業も足りないし、デザイン、オペレーション、カスタマーサポートも追いつかない状況。そんな中、何十人もの人に会って面接をしました。採用するときは、プロフェッショナルを。そして、会社の社風に合う人を。どんなに急いでいても、焦って採用してはいけません。ここは、いつ事業が成長してもよいように。予め欲しい人材像の軸を決めておくのがよいと思います。また、会社のブランディングというか、認知度を上げておくこともここで役に立つはずです。

 

・海外の企業と事業をするということ

韓国で出会ったスタートアップたちは、日本を重要な市場だと考えていました。特にアジアの起業家達にとっては、距離も、感覚も近い日本は攻略もしやすく、ビジネスとしても成り立ちやすい市場だと認識しているようです。 出会った幾つかの企業が日本進出の意向を持っており、その中で今回アップディスコと提携するというジャッジをしたのは、彼らのノリとスピード感、そしてどこか社風が似てそうだったところでした。他にももっと実力がありそうで、日本でも成功できそうな会社はありましたが、最終的には、人で決めたんだな、というのが振り返っての感想です。

ただ、事業を行なっていく中で、商習慣の違いや、考え方の違いも見えてきたところがあります。これはいい悪いではないですが、まず、彼らはグローバル志向が非常に強い。内需だけに頼れないので、当初から海外展開を具体的に考えています。また、例えば広告ビジネスでは支払いサイト制より前払いがポピュラーだったり、ユーザーへの接し方も違ったりと、多くの違いがあります。また、当然日本と韓国ではユーザーのスマホ利用スタイルや、通信環境も違うので、サーバーの具合など、感覚が伝わらない、という点もありました。

その部分もはじめから「相違がある」という認識があれば、よりスムーズに進められるはずです。

ただ、スピードを重視するあまり、契約面で詰めが甘かった点もありました。経験がない部分は、メンターなどに慎重にチェックを入れてもらったほうがよいと思います。後半は、高校の同期の弁護士にすごく助けられました。

 

・事業への想い

この事業は、2010年に新卒で入社した、ジョンヨン、ヨンジュありきで考えていました。 設立間もないベンチャーで、日本では優秀な新卒が採用できそうもない。そんな時、矢野が韓国行って採用しようぜ、と言い出したことにより、ノリでやってみました。会社としては、当然グローバル展開を考えていたので、まずは人から、とトライしたところ、100名以上の応募があり、しかもみんな優秀。日本の新卒ヤバイぜ、とも感じました。 そんな中、「HALOの機会になりたい」と入社してきたジョンヨンが、アドラッテという一つの機会を形にしてくれました。

当初はユーザーから「サーバーがつながらない」というクレームや、App Storeのレビューが全部アドラッテになって他デベロッパーさんに謝りにいったり、トラブルだらけでした。その後、立ち上げフェーズを経て、運用からスケールする段階に入ってからは、ユーザーと広告主に満足を与えることを中心に考えてきました。そんな中、サービスのローンチのフェーズを抜けて、僕らも引導を渡す時かな、と考えました。

(正直、もうちょっとアドラッテと一緒にいたかった、というのが本音ですが、外部環境の変化やパートナーとの方向性、市場の圧力などもあり、現在の着地に至っています)

今、二人はすでにハロにいないけど、この1年の事がひとつの自信になってくれたらと思います。

 

 

僕らはまた次の事業で大きくトライしていきます。

アドラッテを応援してくれたみなさま、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。(運営はコンサルティングという形で支援、代理販売は継続していきます)

 

今年のアドテックも、お楽しみに!

これで出展します→ http://www.halo-web.com/archive/2012/20121023-2.html